翻訳と辞書
Words near each other
・ 武田信豊 (若狭武田氏)
・ 武田信貞
・ 武田信賢
・ 武田信道
・ 武田信重
・ 武田信重 (安芸)
・ 武田信重 (安芸武田氏)
・ 武田信長
・ 武田信顕
・ 武田信高
武田信高 (若狭武田氏)
・ 武田修一
・ 武田修宏
・ 武田健吾
・ 武田元信
・ 武田元光
・ 武田元明
・ 武田元治
・ 武田元綱
・ 武田元繁


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

武田信高 (若狭武田氏) : ミニ英和和英辞書
武田信高 (若狭武田氏)[たけだ のぶたか]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

武田信高 (若狭武田氏) : ウィキペディア日本語版
武田信高 (若狭武田氏)[たけだ のぶたか]

武田 信高(たけだ のぶたか)は、戦国時代武将若狭武田氏の第6代武田元光の子。
== 概要 ==
武田元光の子として誕生(36歳で死去とされることから逆算すると大永元年(1521年)の生まれとなる)。
内政、戦、家督争いで兄の信豊を支えた。一族の内紛に苦労した信豊にとっては数少ない信頼のおける身内だったと思われる。天文21年(1552年)には高浜城へ出陣し、信豊とともに戦った。
弘治2年(1556年)、武田信豊がその息子である武田義統と争いが起こった際は信豊方についた。同年、死去。法名は龍泉寺殿蒲澗稜公大禅定門。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「武田信高 (若狭武田氏)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.